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人と呼ばれていた人々や通りすがりの

若者を次々にたずね、「アポロンの宣託の通り自分が最も知恵があるのかどうか」を知るために対話をおこなった。しかし、ソクラテスのこの行動は相手の考えを向上させることができる対話であったが、当時の賢人たちは「常識」に執着したため、結局、「知っているといっていることを、実は知らないのだ」ということを暴くことになった。相手は論破され恥をかかされたとしてソクラテスを憎むようになった。

このため、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」などで公開裁判にかけられることになった。アテナイの500人の市民がソクラテスの罪は死刑に値すると断じた[1]。原告はメレトスという人物で、政界の有力者アニュトスらの後ろ楯とみられる。告訴の背景には上記の他にもペロポネソス戦争とその後の暴政など複雑な事情があったと考えられる。

ソクラテスは自身の弁明(ソクラテスの弁明)を行い、自説を曲げたり自分の行為を反省したりすることを決してせず、追放の手も拒否し、結果的に死刑を言い渡される。票決は2回行われ、1回目は比較的小差で有罪。刑量の申し出では常識に反する態度がかえって陪審員らの反感を招き大多数で死刑が可決された。

神事の忌みによる猶予の間にクリトン・プラトンらによって逃亡・亡命も勧められ、またソクラテスに同情する者の多かった牢番も彼がいつでも逃げられるよう鉄格子の鍵を開けていたがこれを拒否。当時は死刑を命じられても牢番にわずかな額を握らせるだけで脱獄可能だったが、自身の知への愛(フィロソフィア)と「単に生きるのではなく、善く生きる」意志を貫き、票決に反して亡命するという不正をおこなうよりも、死を恐れずに殉ずる道を選んだ。

紀元前399年、ソクラテスは親しい人物と最後の問答を交わして毒ニンジンの杯をあおり、従容として死に臨んだ。この顛末は弟子であるプラトンの著作『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』にくわしく書かれている。
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無知の知
ソクラテスはアポロンの託宣を通じてもっとも知恵のある者とされた。ソクラテスはこれを、自分だけが「自分は何も知らない」ということを自覚しており、その自覚のために他の無自覚な人々に比べて優れているのだと考えたとされる。
また一般に、ソクラテスは対話を通じて相手の持つ考え方に疑問を投げかける問答法により哲学を展開する。その方法は自分ではなく相手が知識を作り出すことを助けるということで「産婆術」と呼ばれている。ソクラテスのもちいた問答法は、相手の矛盾や行き詰まりを自覚させて、相手自身で真理を発見させた。こうして知者と自認する者の無知を晒させたことから、エイロネイアともいう。→イロニーの語源
アレテー
彼の最も重視した概念はよい生き方としてのアレテー(徳)である。人間のアレテ?は魂をよりよくすることであり、刑罰もそのために有効だとする。また、アレテーを実践する者の人生は幸福であるとも主張した。しかし、これはプラトンの考えという説もある。なぜなら、ソクラテスは著書を残していないのである。

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2009年05月29日 11:50に投稿されたエントリーのページです。

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